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あつみ温泉で目が覚めた。起きた瞬間に列車が止まっていると反射的に「事故か?」と思ってしまうのだが (→いい日旅立ち参照)、今日はそうではなく、ただ駅に停車していただけであった。時刻は6時を少し回ったところ、象潟まではまだ1時間半くらいある。 因みにこの駅は昔、温海駅という名前であったが、観光業者に阿やすいJR東日本が、この美しい漢字を平仮名に改称してしまった。特に難読でもない漢字が、つまらない理由の為に平仮名になるのは、大変嘆かわしい事だと思う。 寝過ごしてはかなわないとは思っていたが、眠気には勝てず、とうとう二度寝して象潟のすぐ手前まで目が覚めなかった。いつもの事ではあるが、どんな場所でも徹底的に熟睡してしまうのが僕の自慢であり、困ったところである。ただ、寝台ではよく眠れないという人の方が多い事は間違いないので、得な性分だと思っている。 昨日も書いた通り、今日は東北の名峰・鳥海山に登ろうと思う。天気が優れなければ中止にしようと思っていたが、起きてみれば秋らしい晴天であった。鰯雲は雨の前兆と言われるがそうでなく、薄い層雲が覆っているだけなので、雨など降ろう筈もない。絶好の山歩き日和である。 |
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バスはさしたる混雑でもなかったが、登山者そのものは多い。特に目立つのが中高年の団体だが、服装や装備を見る限りどう見ても頂上まで登れそうにない人たちもいる。ひょっとすると、途中の御田ヶ原辺りで引き返すのかも知れない。御田ヶ原は鳥海湖を望む笙ヶ岳の山頂であり、鉾立からの登山道の一つ目のサミットである。僕はその人たち全てに挨拶をしながら登ってゆく。標準時間の半分を達成する為には、やはり普通の人の2倍以上の速度で歩かないと無理だろうから、額に汗しながら山道を軽く走る程の勢いで登り続ける。 植生は鉾立から高山帯のそれであった。僕は植生と言っても、はっきりと認識できるのはクマザサくらいのものだから、路傍の繁みを占めるクマザサの割合で、如何なる植生かを見極めなくてはならない。 子供の頃から大の生物オンチである僕は、同じ理科でも化学や物理、地学は得意中の得意なのに、生物だけはサッパリであった。小学校のテストでメダカの絵が載っていて、この中で雌のメダカはどれか、このヒレは尾びれか尻びれかなどと問われたが、溜息の出るような結果であったと記憶している。元々、生物には全く興味が無く、吉野の自然の中で暮らしていたにも拘わらず、自分から昆虫を捕まえてみようと思った事もなければ、鳥の鳴き声を聞いてその種類を覚えようともしなかった。僕は家庭教師をしていて「勉強とは、教える側のヤル気・技術云々より、やはり本人の心意気が最も肝要」との観念を抱いているが、自分にもそれが当て嵌まるように思う。地理や化学は流し聞いただけでも絶対に忘れないのに、生物だけはどんなに覚えようとしても、覚えるべき内容が頭に入ってこようとしてくれない。 |
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さて、そうこうするうちに賽の河原を出外れ、再び石段が始まった。放浪の俳人・種田山頭火の句に「分け入っても 分け入っても 青い山」というのがあるが、当にそんな感じである。一年草は既に枯れ始めているが、多年草はまだまだ青い。長い冬を生き延びるに充分な栄養分を、今の内に作っておかなくてはならないからだろう。 先に歩く人たちを次々に抜かす。こんにちは、と声を掛けると、特に中高年の方々は「おう、やっぱり若い者は達者ですな」「ほら、元気の良いお兄ちゃんだこと」などと返答してくれる。そう言ってもらった手前、息が上がった様子など見せられないから、つい格好を付けてヒョイヒョイと歩いてみせる。この時は気が付かなかったが、これが結構な負担になっていたようなのだ。我ながら、見栄というのは怖いものである。 しかし、登山者たちは概して愛想……と言うよりも、礼儀が良い。また、元気がある。一般的には社交性が無いと言われる僕と同年代のグループでも、声を掛ければ一斉に威勢の良い挨拶が返ってくる。非常に清々しい。正反対というイメージのある鉄道ファンたちも見習って欲しいものだ。山に登るには、技量や体力も勿論大切だが、やはり人とのコミュニケーションを充分に取る事こそが大切なのだという証拠ではなかろうか。 暫し歩くと、石段が尽きてガレ場となった。ガレ場とは石塊が転がる斜面の事で、当然のように歩きやすさは石段より劣る。踏み固められているので一歩踏み出す毎に崩れたりはしないが、時折足の下で石塊が滑り、思わず前のめりになる事もあった。しかし賽の河原を出て20分強、目標である標準時間の約半分で、僕は山小屋のある御浜に着いた。ここで登山道は |
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男鹿半島が尚もよく見えてくる。地図上では、単調な日本海岸に変化を持たせようと誰かが取って付けた瘤のようにしか見えない男鹿半島も、こうして見ると意外に長く、そして陰翳に富んでいる事が分かる。その手前の海上を、秋田港を出港したばかりらしい、白いフェリーが進んでいる。尤も、この遠さでは航跡さえも見えず、時間と共に、ゆっくりとその場所を変えていくので、進んでいるのだと分かっただけの話である。 鞍部、つまり下り坂が尽きて再び上り坂が始まる辺りで、大学生らしい登山サークルか何かのグループが休憩していた。標高は約1700mである。ここでかなりの人たちが休んでいるので、僕はひょっとすると、と思ったが、予想は当たっていた。ここからしばらく行った所から、鉾立登山道最大の難所が始まるのだ。名を、八丁坂という。 殆ど崖のような区間もあったが、登る事そのものが厳しいような区間はなかった。しかし、後から地形図を見てみると、この付近で等高線は極めて混み入っており、坂の急な事が分かる。登山道は、その坂道を等高線に対して斜め60°くらいの角度を付けながら登っている。そうでないと登れない勾配なのだ。 |
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則ち、線というのは目的地までのルート、面というのは目的地までの付近一帯の事であり、線なら1次元、面なら2次元の旅という事になる。これは鉄道の旅も同じで、目的地までの車窓を楽しみ、道中の出会いや味覚も楽しみの一つとなる。 結局、目的地のみしか知らないで「どこどこに行ってきた」などとはしゃぐような旅行とは、そもそもディメンションが異なるのである。こういうのは、0次元、とでも言うべきなのだろうか。確かに、効率はよいだろうし、見たい場所のみが短時間で見られるが、個人個人の興味の視点が一切無視され、全員同じ景色さえ見ていればよい、という事になってしまう。これは非常に嘆くべき事では無かろうか。窓の外には遙か下方に山河が見え、「富士山はどこ?」などと言っているうちに降下を始めて、間もなく羽田に舞い降りる飛行機なども、やはり点の旅行に過ぎないと言える。 さて、八丁坂を登り切って暫く行くと、 僕が選んだのは後者、則ち外輪山ルートだ。ナントカと煙は高い所が好きと言うが、僕もその性向があるという事だ。こちらの方が眺望が開けるので、険しさでは千蛇谷ルートより勝るが、どうせならこちらにしようと決めた。まだまだ足は大丈夫そうである。 |
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鳥海山頂から日本海側を見下ろすと、象潟の街が一望できるが、その一角に、田圃の真ん中に小島のような地形が飛び出しているのを見る事ができるだろう。一体これは何なのか。 一言で言ってしまえば「島」である事に間違いはないのだが、それでは、田圃の真ん中に島とは如何に、と反論されるであろうから、ここに起こった珍しい出来事をお話ししよう。 奥のほそ道で芭蕉が象潟を通った約100年後の1802年、事件は起きた。当時、象潟はいつもと同じように、海の中に多くの小島を浮かべていた。そんな昼下がり、突如象潟地方を巨大な地震が襲った。この地震は象潟大地震と呼ばれている。実は、この地震こそが、この不可思議な地形を生み出した張本人なのだ。 この地震によって、象潟地方の地盤は約2メートルも持ち上がったのである。これは何を意味するか……そう、浅海が陸地と化す事を意味するのである。 たった数時間の内に、海が消えて陸になった。地震のメカニズムなど知る由もない当時の農民たちは、如何ほど驚いたであろう。仏様がお怒りになられているのだとか、その怒りを鎮める為に生け贄を捧げなければとか、きっと様々な討議がされたに違いない。 それはともかくとして、田圃の中の小島、象潟の地形が、如何にしてできたか、ご理解頂けただろうか。つまり、元は海底だった所が今では開墾され、水田に変わっているだけの話なのだ。今、こうして、象潟を高みの見物していると、200年前の光景が蘇ってくるようだ。波穏やかな海に浮かぶ数多くの小島。どの島も覆い被さる松を頂き、その色の対比は、松島以上に見事であったかも知れない。 こうして昔の海岸線を類推したり、その光景を目に浮かべられるのも、登山ならではの楽しみだろう。机に向かって地図を広げていただけでは、いくら想像力が豊かでもここまでリアルな想像はできないだろう。 30分程休憩して、山頂を後にした。ここからは下り坂が中心となるので、再び足を攣らないように気を付けなくてはならない。一度足を攣ると、続け様に何度も攣ってしまう事も経験済みだ。 しかし、体力的に楽である事は間違いない。蓄えた位置エネルギーを放出しながら進めるので、スピードがつき過ぎないように抑制する他は力が要らない。 |
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さて、そうして歩き始めた僕だったが、背後から車の音がしたので振り返ってみると、一台のワゴン車が近付いてくる。恐らくは鳥海山に登ってきた人だろうな……と思っていると、その車は僕の真横で止まるではないか。僕は運転席を覗き込むと。 「乗っていく?」 何と、山頂で一緒にお話しさせて頂いた方であった。僕はいつもの厚かましさで、遠慮無く乗り込ませて頂いたのだが、一つ告白しておこう。 僕は、人の顔を覚えるのが至極苦手である。覚えようと努力すれば覚えられない事もないのだろうが、芸能人の顔や街で出会った人の顔など、数分もしないうちに忘れてしまう。と言うより、本能的に覚えようとしていないのだろう。全く逆の性質のものとしては、風景や道順などがあり、これらは特に覚えようとしていなくても勝手に覚えてしまう。信じてもらえないかも知れないが、僕にはこうした「記憶の特徴」があり、他にも、聴いた音楽や話は殆どそのまま思い出せるだとか (但し、気が抜けている時に聴いたものはロクに覚えていない)、神経衰弱などのカードの位置はほとんど覚えられないだとか、本を読んでいて感動した箇所はそっくりそのまま覚えてしまうだとか、幾つかの特徴があるが、本人は、どの情報を覚えてどの情報は切り捨てるかをコントロールできないので困っている。これができれば、便利極まりない才能だと思うのだが、実際は、聴いた漫才をそっくりそのまま復唱できても、テスト勉強した内容は半分程度しか思い出せないなど、厳しい面がある。 閑話休題。そんな訳で、この方の顔も全く覚えていなかったのだが、何とかそれは悟られずに済んだ。 この方は、鳥海山の内陸側の麓に当たる、山形県は真室川から来られた登山愛好家だという事。既に鳥海山は数十回の登頂経験があり、地元の山はほとんど登り尽くしたそうである。さらには、愛好者サークルの皆さんと、乗鞍、白山、白馬といったアルプスの山々、四国の剣山、九州の由布岳などにも登られているそうだ。今日も、真室川に一番近い百宅口や湯ノ台口から登らずに、わざわざ矢島口を選んでおられるのはそういった理由である。つまり、いつもとは趣向を変えようと思われたとの事。 これは僕にも良く分かる。まだまだ登山は初心者な僕だが、旅では同じような経験がある。つまり、いつも東海道本線経由で上京してばかりいるから、たまには北陸本線経由や中央本線経由で上京したくなるのと同じ事だろう。 道の上に被さる木に、トンビの幼鳥が留まっている。僕にはそれがトンビである事さえもはっきりとは分からないが、「見て。羽が全然傷んでないでしょう?あれは今年生まれた幼鳥ですよ」と説明して頂く。 やはり車は速い。幾つものヘアピンカーブを、巧みなハンドル捌きで通り抜ける。さすがは登山愛好家の車で、前部座席の間、カーステレオやエアコンの計器板がある部分の上に、高度計・気圧計・方位磁針・外気温計などが取り付けられている。それも、かなり本格的な装置であった。僕は現在位置と照らし合わせた上で、かなり頻繁にそのデータをメモしておいたのだが、ここにそれを記したところで、理科の実験レポートのようになるのがオチであろうから割愛させて頂くが、高度と気圧の間にはこうもきちんとした関係が成立するのかと感心した。高度が下がるにつれて気圧が上がるのは当然だが、ほぼきちんと、ある単純な関係式に従って変化してゆくのだ。 ところで、先程からかなり走っているのだが、まだ駅に着かない。どう考えても、もう歩いて30分掛かる距離は過ぎたような気がする。 「まだですか?さっき、駅までは歩いても30分くらいだって聞いたんですけど。」 「え?誰にそんな事聞いたの?とてもそんなものでは歩けないよ。まだもっと先だよ。」 こうした事はよくあるので、驚くにも値しない事なのだが、一応解説しておこう。 田舎のお年寄りの時間感覚というのは、一種独特のものがある。一言で言えば、時間の進み方が遅いのだ。 だから、田舎で道を訊いた時などは注意しなければならない。 「こっちに行ったらすぐですよ」 などと言われた時は、その目的地までに少なくとも10分以上は掛かると考えるべきである。何故か。もし目的地が、本当に「すぐ」あるのなら、この方はあなたをその場所まで連れて行って下さる事だろう。少なくともそうしないのだから、目的地は「一緒に連れて行くにはちょっと遠い距離」なのである。田舎のお年寄りにとって5分や10分歩くくらいは物の数ではないから、則ち、「すぐ」と言われても10分以上掛かると見なすべきなのである。 今回も同じで、結果から言うと、歩けば3時間以上は掛かると思われた。距離にして実に20km以上。キノコ採りの爺ちゃんは、一体この距離をどうやって30分で歩けと言うのだろう……。 何はともあれ、よくこの方に乗せて頂けたものであった。歩こうと思えば歩けるが、時間的には、車無しでは絶対に間に合わない距離である。 |
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このおかーさん、なかなかの元気者で、アイスを買いに来た地元の中学生にも「はい、二人で300万円ね」と快活に笑う。未だにこんなギャグを素で言う人も居たんだなぁと思いながら、氷を浮かべた涼やかな抹茶を飲み干した。売店の傍らには、秋らしい花が生けてあり、やはりおかーさんの作品であった。 街の散策に向かう。荷物はそのまま放置しておいた。尤も、貴重品類は全てカメラバッグに入れて携帯しているから、バックパックの中には大量の本と着替えくらいしか入っていないが。 やはり、今日は秋祭りのようで、各地区毎に手作りの山車を設え、駅前には出店が並び、今夜は一晩中、街がお祭り一色になるのだそうだ。売店のおかーさんは「未だにそういうところは馴染めなくて」と言っておられたが、こうした伝統的な祭りが息づく街は少なくなってきているので、是非とも残して欲しいものだ。昨日の蛸島と言い、今日の矢島と言い、今回の旅ではさして有名ではない街の、個性的な一面ばかり見た気がする。 ところで、街に出たのはこまうさぎ氏への土産を買う為もある。山形県は果実の王とも言われる「ラ・フランス (西洋梨)」の産地であり、日本のラ・フランスの80%が栽培されている。こまうさぎ氏はラ・フランスが大の好物であるが、スーパーなどでこれを買うと途轍もなく高い場合がある。ラ・フランスは栽培が難しく、原産地フランスでも、ほんの少量しか栽培されていないそうだ。 しかし、本場・山形にも程近いこの矢島の街には、どんなスーパーや青物屋にもラ・フランスが並べられている。しかも僕が見つけた中で最も安い店では、1つ50円であった。 駅に戻り、おかーさんと話しているうちに列車の時刻となった。見送りを受けて列車に乗り込み、16時45分、定刻に矢島を発車した。 |
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